展示機維持活動・US-1Aの機首底部の水抜き(続き) 他
※ かかみがはら航空宇宙科学博物館の本館及び屋外実機展示場はリニューアル工事のため、2018年3月まで一時閉鎖されています。
収蔵庫特別公開を除いて、一般の方々の入館はできなくなっていますのでご注意ください。
収蔵庫特別公開の詳細については博物館公式ホームページ(下記URL)を参照ください。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/museum/3920/017236.html
先月末に屋外展示機US-1A救難飛行艇の機首内床下に溜まっていた、大量の水を排出する作業を行いましたが、
水抜きに用意したホースに不備があって、全て抜き切ることができずにいましたが、
今日、改良型ホース(?)を準備したので再チャレンジ!
今度は、溜まった水の大部分を排出することができました。
・・・それにしても、US-1Aは機内への雨漏れが止まりません (T_T)
機体各部のドレン配管が虫の巣やらですぐに詰まって、あちこち腐食して孔があき、もうモグラ叩き状態です。 困ったな~。
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午後からは、戦時中に川崎航空機工業の試作工場に、1944年6月から1945年7月まで学徒動員で働いていたという方から、当時のお話を伺いました。
お聞きした話をちょっと書き出してみますと・・・
・「飛燕」II型の開発は一段落していた時期で、ファストバック式風防から水滴型風防への改修を行っていたほか、主にキ102の製作と改良の手伝いをしていた。
キ102は、明石工場で作った乙型(襲撃機型)を岐阜の試作工場で甲型(排気タービン過給機を装備した戦闘機型)に改造していた。
・キ100 五式戦闘機は試作工場の現場で作業が始まった(水冷エンジンから空冷エンジンへの換装)のは、1945年1月になってからで、2月1日に初飛行。 とにかく急げ急げということで突貫工事だった。
「飛燕」II型の機首部分をノコギリで切り落として、空冷エンジンに乗せ換えたのだが、試作工場の全員が、「こんなことで良い飛行機ができるのだろうか?」と思っていた。
出来上がってみたら予想外の高性能で、みんな驚いた。 本当に評価されるべきはキ100だが、「飛燕」ほど知られていないのが残念。
・試作工場にはベテラン工員が配されていて、過去の試作機についての秘話を聞かせてもらえた。
キ61「飛燕」の前作であるキ60は、「飛燕」より整備性が良かった(ドイツから輸入したエンジンを搭載していたから)、と聞かされた。
・試作工場の周りには、過去の試作機や輸入機が置いてあって、手待ちや休憩時間に自由に見たり触れたりしていた。
・キ28試作戦闘機(中島キ27と九七式戦闘機採用を争ったが、不採用となった)は、「飛燕」と胴体の構造がよく似ていた。
・ドイツから輸入したフォッケウルフFw190戦闘機もあった。 ゴツゴツした飛行機だな、という印象だったが、キ100のエンジン排気管配置の参考にされたと、戦後になってから知った。
・アメリカ本土爆撃用に開発が進められていた超大型爆撃機キ91の実大模型も見た。 北工場の試作工場内にあって、胴体と、主翼は片方だけだったが、軍の審査用なので胴体の内部まで忠実に作られていた。
・南方戦線で鹵獲したボーイングB-17爆撃機の機体の一部が置いてあり、リベットの打ち方が日本のものに比べて非常に綺麗で、リベット打ち作業のお手本にされていた。
・試作部長の土井武夫さん(「飛燕」の設計主務者)は、現場によくお一人で来られていた。
・・・などなど。 2時間にわたってお話を伺いました。
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下写真は、収蔵庫展示中の「飛燕」の右主脚カバーにマーキングされていた機体番号 "6117" の跡。
この部分が、一番わかりやすいと思います。
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