岐阜かかみがはら航空宇宙博物館リニューアル・オープン!
待ちに待った博物館のリニューアル・オープンの日です!
・・・「待ちに待った」というより、ついにこの日が来た、というやつですが (^_^;
朝8:30、門の前では開館を待つ人たちの列ができつつあります。
新たに設置された野外イベント・テントでは、リニューアル・オープン式典の準備も着々と進んでいます。
マスコミも沢山きているみたい。
博物館ボランティアの皆さんも、朝早くから博物館に集合!
各自の配置について確認です。
浅野各務原市長がボランティアの皆さんに挨拶に来られました。 よろしくお願いします!
私は、中野ボランティア・グループ代表と式典の方に出席です。
博物館アンバサダーを委嘱される、元・宇宙飛行士の山崎直子さんを乗せたBK117C-2ヘリコプターが飛んできました。
古田岐阜県知事の挨拶。
来賓の方々の挨拶が続く中、これまでの日々が走馬灯のように思い起こされて、さすがの私も柄にもなく目頭が熱くなりました。
・・・私が1998年に博物館ボランティアを始めて、今年でちょうど20年になります。
1996年3月、国内初の本格的航空宇宙博物館としてオープンした、かかみがはら航空宇宙博物館は、航空機ファンの強い期待を集めました。 私もその一人でした。
しかし、運営側の無定見から博物館は迷走をつづけ、多くの航空機ファンの期待を裏切ることになりました。
13年前、名称に「科学」が入り、脱!航空!!・・・の流れになり、展示機の維持にかける予算は大幅削減(というか、実質ゼロになった、と私は聞かされた)、正職員は館長と事務方合わせて3人残して航空関係の学芸担当職員はみーんなクビ。
「脳みそがカラッポの博物館」と化しました。
この施設(博物館と呼ばず)はもうダメだ、と多くのボランティア仲間達が博物館を見限って次々に去っていく中、さすがの私も「こら本当にダメかもしれない」と諦めかけたこともありました。
でも、日本の航空史の中心地ともいえる各務原にある航空博物館と、そこに集められた貴重な展示収蔵機群をこのまま見捨てることなんてできない、
それは飛行機でメシを食わしてもらっている人間として、とても容認できない。 もうボランティアだけででもやってやる!・・・と思って頑張ってきました。
飛行機を守んなきゃって、当時はもう必死だったんです。 今思うと、若かったんだな(苦笑)
各務原市の職員の人達とも、幾度となく衝突しました。
「こんな提案書なんか出してきても、全部ゴミ箱行きなのよ!あなたのやっていることは無駄なの!!」 館事務所で罵られたこともありました。
来館者から「なんだこの有様は!」罵声を浴びたことも、何度もありました。
ボランティアをしにきて、頭下げなきゃならないなんて・・・まあ情けないことこの上なかった。
「今の各務原には、とても飛燕は託せません。知覧に置いておいた方が、まだ安心です。」
10年前、現存する飛燕のオーナーである日本航空協会さんには、私、そう言われました。
博物館としての信頼を、なんとかして取り戻さないと、もう「各務原に飛燕を!」どころの話じゃなかった。
各務原の博物館ボランティアが運営に深く入り込み、屋外展示機の維持・清掃を自主的に始め、展示内容など学芸分野にも手出しするようになったのには、このような背景があったのですが
「小山はボランティアを扇動して、勝手なことをやっている。」
私のことを快く思わない一部の職員達からは、そんなことを言われていると耳にしました。
(ちゃんと館長には許可をもらってやっていたのですケドね)
・・・フンだ、言いたいヤツらには言わせておけ。
そんな真っ当な博物館からしたらムチャクチャともいえる状況下でも、展示収蔵機のことを想って一緒に頑張ってくれたボランティア・グループの仲間達や、心ある職員の人達に支えられて、少しづつですが、この博物館は信頼を取り戻していったのでした。
ドン底のような状況が大きく変わったのは2011年、長浦淳公さんが博物館職員として着任されてからでした。
長浦さんは飛行機は素人でしたけれど、各務原の展示収蔵機の価値を理解してくれ、我々ボランティアの思いを汲んでくれたのです。
2011年秋、この年は「飛燕」が1941年末に初飛行して70年の年でした。
「飛燕」を生んだ各務原の航空博物館なんだから、規模は小さくてもいい、何か「飛燕」の企画展をやりたい、という提案を長浦さんが受け入れてくれて、ボランティア主体で開催したのが、今もミュージアムショップで図録が販売されている「飛燕の時代」展だったのです。
「飛燕の時代」展の予算は6万円でした。 今、思い起こしても、小中学校の学芸会展示かと赤面するような企画展でしたが、
この企画展をきっかけに「双発戦闘機・屠龍展」「土井武夫生誕110周年企画展」といったボランティア提案の企画展を続けて開催することができ、質の良い展示がされるようになったとの評価を得ることもできるようになりました。
長浦さんは、今回のリニューアルでも、宇宙関係の有識者が大多数を占めたワーキング・グループのなかで現物資料としての展示収蔵機の大切さを強く説いて、飛行機たちを守ってくれました。 また、学芸部門の復活も、強く推進してくれました。
長浦さんが居なかったら、リニューアル後の博物館の航空分野はどうなっていたか分からない。 いくら感謝しても足りないくらいです。
新体制後は副館長の肩書になられますが、本当に感謝に堪えません。 有難うございました。
(リニューアル前のドタバタでお疲れなのですから、少しは休んでくださいね(^_^; )
今後、肥大化した博物館や、経年劣化が進む展示機をどのように維持管理していくか、不安が全くないわけではありません。
課題は、挙げればきりがないほどあります。
でも、今日は、このリニューアル・オープンの日を迎えられたことを、素直に喜びたいと思います。
日本航空協会さんの信頼も得られて、博物館関係者の永年の夢であった、「飛燕」の展示も成りました。 感無量です。
リニューアル・オープンおめでとう!
博物館を支えて下さった多くの皆さん、ありがとう!!
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館を、これからもよろしくお願い致します。
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コメント
ずっと読ませていただいておりました。
石川県金沢市からです。
この度はリニューアルおめでとうございます。
いつかは訪れたいと思っています。
投稿: 瑞鶴大好き | 2018年3月27日 (火) 16時55分